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事務局だより
事務局だより : よろい着た人骨、渋川・金井東裏遺跡の現場で一般公開
投稿者 : ゲスト 投稿日時: 2012-12-13 (4420 ヒット)

2012年12月12日

 上信自動車道の建設予定地、渋川市の金井東裏遺跡が本日、一般に公開されました。
 6世紀初頭、榛名山の噴火に伴う火砕流で被災したと見られる甲(よろい)を着た武人の人骨が出土した遺跡です。

 関連記事などの情報はこちらにまとめてあります。
 http://p.tl/xE7c

 国内で初めて、古墳時代の甲を装着した人骨が出土したことが全国ニュースで流れ、一般公開は一日だけとあって、群馬県埋蔵文化財調査事業団が主催した今日の説明会には、近隣だけでなく、東京方面、関西、東北方面からも多数の見学者が詰めかけました。
 

 吾妻川の左岸を川に並行して走る”日かげ道”は、現地へ向かう車で大渋滞。現地でも数十分行列に並んで、ようやく現場に案内されるほどの混みようでした。現地説明会といっても、まだ発掘調査は半ばで、遺物の研究もこれからですから、主催者の説明はごく簡単なものでした。
 上毛新聞の報道によれば、見学者は2,600名に達したとのことで、県埋蔵文化財事業団がこれまで開催した現地見学会の中では、一日当たり最多の人数を記録したとのことです。

 下の写真の、ブルーシートに覆われている場所が金井東裏遺跡です。榛名山の方角から撮りました。
 周辺は畑が広がっており、遺跡ももとは畑地でした。上信自動車道の予定地が発掘対象となっているため、遺跡は細長い形をしています。
 遺跡の向こうに林が見えますが、その後ろにかすかに見えるのが赤城山の裾野です。林の後ろ、赤城山の手前に、吾妻川が流れています。

   

 吾妻川を少し上流に行くと、吾妻川の川原に「金島の浅間石」と呼ばれる巨岩があります。群馬県指定天然物である金島の浅間石は、以下のページの説明にあるように、江戸天明の浅間山噴火の際、泥流と共に吾妻川を流れ下ってきたものです。
 http://www.manabi.pref.gunma.jp/bunkazai/q608381.htm
 

 今度は、吾妻川の方から撮った写真です。後方の小高い山々の向こうに榛名山が聳えているのですが、遺跡からは榛名山の姿が見えません。
   

 発掘現場のほとんどはブルーシートに覆われており、甲が出土した溝の部分だけが公開されていました。溝の中には、甲を装着した人骨の他に、乳児の頭骨、別の甲や鏃もみつかりました。見学者が指さしている、写真奥の甲は武人が着たまま出土しており、手前の甲は甲だけが出土しています。

   

 これが、ニュースで取り上げられた甲です。甲の右側に丸く見えるのが、この甲を着装していた被災者の頭の部分です。

   

 今度は反対側から撮りました。手前の方には、太腿骨もありました。甲を着た人が火砕流に襲われ、地面に突っ伏して亡くなったさまが目に見えるようでした。

   
 
 これらの遺物は、このままでは空気にさらされて劣化するため、別の場所に保存され、さらに詳細に分析されるということです。

 昨日の上毛新聞の22~23面では、考古学者らがこれらの遺物から、被災状況を様々に想像したコメントが掲載されていますので、一部転載します。

○石野博信兵庫県立考古博物館長(考古学)ー「迫り来る火砕流から赤ちゃんをかばおうと、自分の胸に抱いて伏せたのではないか。人の感情は形として残らないが、現代と同じような大災害に遭遇し、生き延びようとした男性の心の動きが伝わってくるような発見だ」

○高橋克寿花園大教授(考古学)ー「このタイプの鎧は小札を重ねて小さく畳むことができ、赤ちゃんをすっぽり入れることも可能。近くにあったもう一つの鎧に赤ちゃんを入れ、脱出する途中だったのでは。この時代は、男系の世襲制が確立するころ。男性は地域の有力者で、世継ぎである息子を救いに来たのかもしれない」

○能登健群馬大講師(災害考古学)-「男性は武人階級で、近隣の集落を回って避難を呼び掛けている途中だったのではないか。当時の本県で戦乱があった形跡はなく、武人というより現代の消防士や警察官のような役割だったかもしれない。」「近くに赤ちゃんの母親やほかの住人もいる。榛名山麓の村々は、被災と復旧、再開発を繰り返してきた。地元の人にこそ、こうした災害の歴史を知ってほしい」

○右島和夫群馬県埋蔵文化財調査事業団理事ー「研究者は出土品から当時の様子を浮かび上がらせるが、鎧を身にまとった人骨の発見は当時の人に出会うことができたという感覚。この地域は『災害考古学』の研究を進める上で重要な地域と言える。」

○石坂茂県埋蔵文化財調査事業団調査部長ー「古代の人がここで被災したかたといって、単に怖い危険な場所だなどと思ってはいけない。この噴火の後も周辺では人々が暮らし続けている。災害に負けず、めげずに復興を成し遂げていった先人の姿から、防災のすべを学びとることが必要だろう」

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 今日の遺跡公開では、地元の方々が大勢、ボランティアとして交通整理などにあたっており、地元ならではの話も聞かれました。

 「東裏っていうのは、字(あざ)の名だよ」
 「こんな凄いものが出てくるとはなァ。地域の宝だよ」
 「地域どころか、国の宝だんべ」
 「道路ができるのは5年後の予定だけんど、まだ何が出てくるかわかんないし、また遅れるだんべ」 
 「まだまだ、出てくるぞ」
 「こんなことなら、土地売らなきゃよかったなぁ」
 「土地売らなきゃ、発掘調査はしねえんだよ」
 「相手は国交省だからなー。売らなくっても、どうせ強制収用だよ」
 「農業やる跡つぎがいないから、売れるんだったら、今のうちに売るって人が多い。昔とは変わったな。いつ計画なくなるか、わかんないし」

 金井東裏遺跡は八ッ場ダム予定地と関東平野部を結ぶ上信自動車道の金井バイパスの予定地です。こちらに金井バイパスについての群馬県の説明があります。
  http://p.tl/423z

 約一キロ区間の道路建設が平成17年~27年の予定期間で進められているということです。現在の国道の交通量が一日1万4、214台、新道の予測交通量は1日12,900台となっていますが、群馬県の人口はすでに減少し始めていますから、交通量は予想よりさらに少なくなるでしょう。
 地元には、自民党の小渕優子氏が会長を務める上信自動車道を推進する業界の期成同盟がある一方で、道路ばかり造っても地域は衰退する一方だ、という声も聞かれます。

 先ごろ、群馬県は全国で最も観光の面で人気がないというアンケート結果がニュースになりました。群馬県固有の火山災害に関係する遺跡は、歴史遺産として、また減災を語り継ぐ上で貴重なものですが、観光資源としてもすぐれていることは、本日の遺跡公開に数千人の老若男女が訪れたことからも明らかです。一時的な雇用の創出が唯一の目的のような大型公共事業のために、本当に大切なものを失ってしまってよいのかという疑問がぬぐえません。

 関連記事を転載します。

◆2012年12月13日 上毛新聞
 http://www.raijin.com/ns/3913553236436269/news.html

 -鎧着た人骨、現地説明会に2600人 渋川・金井東裏遺跡 ー

 6世紀初頭の榛名山の噴火で被災した金井東裏遺跡(渋川市金井)から古墳時代の鎧(よろい)を着た人骨が国内初出土したことを受け、県埋蔵文化財調査事業団が12日開いた現地説明会に、約2600人が詰めかけた。事業団主催の説明会としては1日当たり最多とみられ、駐車場の空きを待つ車列は最大約2キロに及んだ。実物を目にした見学者からは「想像以上にリアル」「不思議」「今後の調査が楽しみ」などの声が上がった。

 見学者が午前8時ごろから集まり始めたため、予定を30分早めて9時半から開始。事前に準備したパンフレット500枚は10時すぎになくなり、コピーして対応した。渋川金島中とその近くの公民館の2カ所に駐車場を確保したが、県道渋川東吾妻線は午前中を中心に見学者の車で混雑した。

 事業団によると、1987年の今井道上・道下遺跡(前橋市今井町)の説明会には、土、日曜の2日間で約2000人が訪れた。今回は遺物の保存を優先させ、急きょ平日に1日のみの公開としたがそれをはるかに上回る見学者数となった。担当者は「驚異的な数。開始時間の繰り上げも含めて異例ずくめだった」と驚いていた。